2010年1月28日木曜日

神社建築はどこから来たのか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-




 『倭人章』には邪馬台国には卑弥呼の宮室と共に、「樓観」があったことを記録している。

 樓は二階建て、観は道教の教会のことである。

 香川県出土の銅鐸には、カレン人の造る竹の神殿そっくりの絵が描かれ、高い床、梯子、棟持柱などがはっきりみえる。

 棟持柱は今も伊勢神宮の建築に残るが、東南アジア各地に現存する特徴ある様式である。

 33ページのベトナム出土の銅鼓(どうこ)の絵も、棟持柱を描いてあるが、さらに注意してみると、その独特の形の屋根は、スラウエシ島に現存する神殿や、奈良県出土の「家屋文鏡」の建物と同型で、しかも屋上にわざわざ鳥の絵が描いてある点まで同じだ。

 このことは鳥居と同じ鳥がいることと共に、これらが神殿であることと、銅鐸、銅鏡、銅鼓は、同系の文化であり、技術者の作品だと考えられる。

 鏡の絵にはないが、他の写真を見て戴くと、建物は支えずに屋根の棟木の端だけを支えている柱が棟持柱である。

 筆者は、タイ国西部のメーホンソン付近で、カレン人が焼畑の豊作を祈るために、右ページの銅鐸の絵そっくりの高さ1mほどの神殿を、細い竹で作るのを実見したが、それにもこの棟持柱が、ちゃんと添えられていた。

<写真>

 ●銅鐸の棟持柱のある神殿図

 ●伊勢神宮神明造りの棟持柱

 ●家屋文鏡の神殿と鳥:奈良県出土:宮内庁蔵

 ●トラジャ族の神殿模型:インドネシア・スラウエシ島

 ●銅鼓上面に描かれた神殿図。
  上の家屋文鏡の絵やトラジャ神殿と見比べてほしい。

 『参考』



 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  

 
 


 歴史研究家「小嶋 秋彦」


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