2011年5月11日水曜日

貝を貨幣にする大規模な分業


 ※出典:加治木義博:言語復原史学会
     日本国誕生の秘密 125~125頁
     ㈱徳間書店
           日本国誕生の秘密 



 
 当時の朝鮮半島が、真実、古代和人の移住地で、

 『三国史記』が記録している三韓の王たちは、

 みな倭人か和人だったという「歴史事実」は、

 ほぼご理解いただけたと思います。

 でもまだ、国名が日本語だったり、

 高句麗王の名が九州のものだったりというだけでは

 朝鮮半島が同一政治圏だったと納得できない方に、

 もう一つ面白い証拠をお見せしましょう。

 宝貝産業は大規模産業ですから、多くの人手が必要でした。

 その中心はインド経由できた人々でカースト制度でしたから、

 仕事は分業で親子代々の世襲制の家業になっていました。

 こうしたカースト制度は[士農工商]として

 江戸時代まで定着していましたから、

 その人々がどんなふうに仕事をしていたかは、十分に推理できます。

 ① 船の船頭や漕ぐ人たち。          ① 漕ぐ人=コグリ。

 ② 貝のいるサンゴ礁などを探す人。      ② 探り人=サグリ。

 ③ 海に潜って貝をとる人。          ③ 潜り人=モグリリ。

 ④ 収穫物を積んで干し、貝の身を腐らせる人。 ④ 干し積み人=ホシズミリ。

 ⑤ 腐った身をエグリ取る人。         ⑤ えぐり人=エグリリ。

 ⑥ 汚れを擦り落とす人。           ⑥ こすり人=コスリリ。

 ⑦ 洗う人。                 ⑦ 洗い人=アライリ。

 ⑧ 製品を選別して不良品をハネる人。     ⑧ はね人=ハネリ。

 ⑨ 運ぶ人。                 ⑨ 運び人=ハコピリ。

 ⑩ 商売する人など。             ⑩ 商売人=アキナイリ。

 この人々が金属貨幣の普及で宝貝では生活できなくなった後、

 それぞれの集団を作って移動した先々では、何と呼ばれるでしょう?。
 中国語の[人]は私たちには[リ]に近い音に聞こえますから、

 語尾に[リ]をつけた仮定業務名は次のとおりになります。

 宝貝産業はその商品が重いのが販売のネックでした。

 車さえない時代には、船が最高の輸送手段でした。

 しかし鉄の釘が発明されるまでは、木のクサビで止めたり、

 木の皮で結んだりするていどの方法しかありませんでしたから、

 大型の構造船を作ることは不可能だったので、

 小船では重い貝殻を積んで大海に出ることはとても危険でした。

 沖縄から中国は近いのに直接行かずに、

 大回りして島伝いに南九州から北上して、

 朝鮮半島経由で商品を運んだのは、横断できない黒潮の流れを、

 逆に活用した知恵によるものだったのです。

 だが陸路の果てにも[難関]が待ちかまえていました。

 それは鴫緑江(オウリョクコウ)です。

 この大河は中国が朝鮮を支配するのを防ぎ、

 また支配するたびにそれを挫折させたほどの恐ろしい

 邪魔物だったのです。

 それを立派に征服できたのは[漕ぐ人=コグリョ]だけでした。
 
 だからこそ「高句麗」が国名になり、

 この大河の南北流域を永く支配下におくことができたのです。

 それは今でいえば海運力であり、海軍力だったのです。

 このことが後に、

 このカリエン人の海運力よりもまさった能力をもった

 ギリシャ系倭人に、高句麗の支配権が移った理由でもありました。

 その新来者はフェニキア系の構造船技術の持ち主でした。

 ヒミコ当時、帯方郡使を運んだのも彼らでしたし、

 後でお話しする、

 この本の最重要プロットになる[高句麗王・位宮の高速逃亡]なども、

 この海軍力なしでは考えられない事件だったのです。

 <絵:貝貨産業と古代有力氏族名>

   コーレーという貝の名と、高麗とが同じで

   高、竹、武がその人たちの氏族名になった。

   だからこの貝貨産業の分業を姓にした人々は

   武内宿弥の子孫だということになるのである。

   どの絵の仕事がどの姓を生んだのか?。

   楽しいクイズとしてお使いください。



 『検索』

 『参考』
 ウワイト(倭人)ウバイド        
 歴史学講座『創世』うらわ塾         
 

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
 

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